塾なんかいらない?田舎の公立高校から大阪大学へ

塾なんかに通わなくても大阪大学に合格できる!自分の経験を受験生を持つ保護者の方へ伝えます。

数学は暗記科目だ!

 仕事が忙しく、更新間隔があいています・・・
 
 
 
 数学は暗記科目だ・・・
 
 これは私の兄の名言?です。
 
 なんで数学が暗記科目なんだよぉ!という声が聞こえてきそうですが、兄の言う理屈は次のとおりです。
 
 
○代数であれ、幾何であれ、数学は特定のルール(公式?)に基づいて構成されている
○複雑な問題はあるかもしれないが、それはルールを組み合わせれば解ける
○だとすれば、組み合わせるパーツをたくさん知っていれば、どれとどれを組み合わせれば答えが導かれるか決まる。
 
 ということは、パーツとなる問題をたくさん解いて、たくさん覚えたヤツの勝ちだ
 
というものです。
 
 わかったようなわからないような理屈ですが、
 数学はパズルといっしょということでしょうか
 
 確かに、中学の幾何学の問題では、いろんな図形問題のパターンを説いたら、そこからの応用という形で「あれと、あれを組み合わせれば、解けそうだ!」ということはあったように思います。
 
 問題を解く手がかりがない状況であれば、答えを見て、解法を理解し、同様の問題を解くための手助けとするというのは、効率的だと思います。
 
 といってしまえば、簡単なんですが・・・そうなると、英語も化学も物理も暗記科目ですよねぇ(笑)
 
 

効率的な学習方法

  みなさん暗記科目って得意でしたか?
 
 私は苦手でした。
 なかなか覚えられないので、紙に何度も何度も書いて覚えました。そのときは覚えているんですけど何日かたったら忘れているんですよね。
 そう、試験になったら忘れている・・・なーんの役にも立ってないです。
 
 当時からこれを知っていれば、もっと効率的に記憶ができたかもしれません。
 「エビングハウス忘却曲線」ってやつです。
 
 私が大学入試に向け受験勉強をしていたときは、このような理論もしらず、ただ繰り返し勉強をしていたところですが、知らず知らずのうちに、この理屈に沿った学習法になっていたのかもしれません。
 
 ドイツの心理学者であるヘルマン・エビングハウスが発表したのが忘却曲線です。本当は違うんですよね・・・・本当の実験内容については、グーグルで検索してみてください。
 
 実際の学習においては、エビングハウスが実験したような無意味なアルファベットの記憶ではなく、過去の学習の積み重ねであったり、今学習していることに関連することであったりするため、もっと「忘れにくい」ことはたしかだと思いますが・・・・。
 
 
 この忘れるということと、繰り返し学習することにより記憶が定着するということを上手に利用すれば効率的に学習できるようになります。
 
 数学の問題集を例に考えてみます。
 そのときの理解度により、①簡単に解けた問題、②ちょっと難しくていろいろ試行錯誤の結果なんとか解けた問題、③難しくて解けなかった問題
 
 当然ながら、①の簡単に解けた問題については、繰り返し勉強する必要はありません。わかりきっているレベルも問題を何度やっても能力は伸びることはなく時間の無駄です。
 ②の解答にたどり着くまでに試行錯誤した問題、については、今一度、解法を確認して、自らの能力として定着させる必要があります。
 ③の手も足も出なかった問題。こちらは答えを見て、まずは解法の糸口、考え方を理解する必要があります。その後、同じような問題が出たときの参考になります。
 
と、3つのパターンを考えてみます。
 問題集で問題を解いたときに、①簡単に解けた問題は○、②なんとか解けた問題は△、③解けなかった問題は×をつけていきます。そして3日後でも1週間後でもいいですが、少し時間をあけて、△と×がついた問題を再度解いてみます。
 
 そのとき、前回学習したときにきちんと知識として定着していれば、△だったものは○に、×だったものは△や○へとレベルアップしているはずです。
 
 この学習法を繰り返していけば、いずれは問題集丸々一冊すべて、理解できることになります。
 
 複数の問題集をやることもいいと思いますが、この方法で一冊をしっかりやりきるということも自信につながって意味があるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

浪人が決定(-_-;) 予備校(進学塾)に行くのか??

 私が現役高校生の時、当時は大学入試センター試験の前身の共通一次試験の後、AB日程制度のもとで第2次試験が行われていました。
 なので、国公立大学でも2校受験できたんです。
 そのかわり受験生が集中する大学もあることから、共通1次試験の成績が悪く、どうがんばっても2次試験で挽回できないと大学側が判断した場合、2次試験の受験資格が剥奪されていました。当時は「足切り」と言っていました。
 
 高校3年当時の学級担任が非常に「先見の明」のある方で、B日程の志望校については共通1次試験の前から「好きなところを受ければいい、ただ、B日程の大学は足切られるぞ!」と言われていましたが、その通りになってしまいました。
 
 結局、本来2校受験できるところが、足切りにより、大阪大学だけの受験となりました。
 
 その大阪大学の受験も失敗しどこにも行くところがなくなりました。
 
 そうです、浪人です。
 
 晴れて浪人生となった訳ですが、1年間どう過ごすか考える必要がありました。
 選択肢としては3つ
 
1.大手予備校へ行く
 田舎には進学塾がないのと同様に大手予備校もありません。翌年大学を目指して予備校に通おうと思えば、大阪などの都市部に一人暮らしをしながら予備校に通わなければならない。
 
2.地元高校の専攻科に行く
 専攻科というのは、あまりなじみのない言葉かもしれません。専攻科というのは本来、高校卒業後、より専門的な知識等を授業するために設置されるものですが、私がいた田舎では、大手予備校がなかったことから、高校4年生的な位置づけで大学進学予備校的な過程が設けられていました。これに通うのがひとつの選択肢です。
 
3.家でひとりで学習
 ひとりで学習計画が立てられ、先生に頼らずに学習するにはこの選択肢になります。
 
 
 
 
メリット
デメリット
大手予備校
・授業が受けられるので生活のリズムが作れる
・受験のための専門的教育が受けられる
・同レベルの学力の仲間(ライバル?)がいる
・親から解放される!
・授業料が高い
・一人暮らしが必要
専攻科
・授業が受けられるので生活のリズムが作れる
・授業料が安い
・自宅から通える
・クラス内の学力レベルの差が大きい
・親の監視下にある(笑)
自宅
・自分の好きなペースでできる
・教えてくれる人が誰もいない
・生活のリズムが作りづらい
・親の監視下にある(笑)
 
 こうみると、大手予備校に行くのがベストかと思います。
 親ともだいぶ話をして、8割方、大阪で一人暮らしをしながら大手予備校に通うということになっていました。
 
 ところで、私には兄が二人おります。実は兄二人とも阪大にいっておりまして、大学の事情や予備校の事情など詳しく教えてもらいました。
 
 兄の意見は
  1.阪大を目指すなら、大手予備校の「阪大コース」ではだめで「京大コース」で頑張らないと意味が無い
  2.一人暮らしをしながら受験勉強をするのは大変だ
  3.結局は、どこで勉強をしようが自分次第
とのことでした。
 
 結局、3つめの「どこで勉強をしようが自分次第」という意見がもっともだということで、大阪にはいかないことにしました。
 
 最終的には、地元高校の専攻科に特待生という形で入学し、1年間お世話になることとなりました。
 

地元の公立高校は・・・・

 中学校では部活でバスケットボールをしていたのですが、どっちかというと下手だったのと、進学した高校のバスケットボール部が県内でもかなりの強豪だったこともあり、とてもついて行けるレベルではなかったので、入部はしませんでした。いまさらほかの部活でがんばる気力もなかったので、特定の部活には入りませんでした。
 そのかわり、いろんなところに顔を出していたのですが、ひとつだけ長期間入り浸っていたところがありました。文芸部です。
 文芸部と言えば、まじめに本など読んでいるようなイメージがありましたが、読んでいたのは「マンガ」!女子部員が多かったので、少女漫画が多かったですが、いつも放課後に部室に行き、いろんなマンガを読んでいたのを思い出します。
 あと、学校の近所に住んでいた友人達と、駄菓子屋に行って、店のおばちゃんを交えて無駄話をして楽しんでいました。
 
 さて、高校の合格発表があってすぐ、学校説明会があり学校生活に必要な体操服などの販売がありました。その時、まだ入学もしていないのに宿題が配られたのを覚えています。もしかしたら当たり前のことなのかも知れませんが、その時はかなりの衝撃を受けたのを覚えています。
 入学するまでの半月あまり、しっかり勉強してこいっ、ということでしょうが・・・・
 
 ただ、学校がはじまってからは、あまり宿題が出された記憶がありません。たぶん、出されていたと思うのですが・・・・
 高校は10クラスあり、1年生のときはすべての生徒がシャッフルされていましたが、2年になると、理系、文系の分けがあり、さらにその中でも選抜クラスが編成されていました。さらに英語については、理系文系に限らず、さらに選抜クラスが編成されていました。
 この選抜クラスの編成により、より競争的環境となっていました。

中学の時って何してたんだろう? 部活の記憶しかない・・・・

 中学校は地元の公立学校に通いました。
 当然のことながら、近隣の小学校から生徒が集まってきますので、小学校のときよりも1学年の人数は増えます。結局7クラスありました。
 
 当時、我が母校は非常に荒れていました。先生に対する暴力事件があったり、消化器の薬剤がばらまかれたりと・・・ただ、今と違って、悪さをする者たちは明かに不良の格好をしていました。
 そんな感じではありましたが、あまり授業の邪魔をするような奴はおらず、話をするとそんなに悪い奴ばかりでもないので、友達として一緒に遊んだりもしていました。
 
 中学になると、部活動もはじまりました。当時身長が低かった私は、上に伸び上がる運動をすれば身長が伸びるだろうという安易な思いから、バスケットボール部に入部しました。バスケットボール部にはなかなか優秀な人材がそろっており、県大会突破まであと1歩のところまでいくことができました。
 
 勉強はというと、・・・・実はあまり覚えていません。
 英語に関しては、最初のうちはNHKの基礎英語を聞いていたのを覚えていますが、じきに聞かなくなっていましたし・・・・今思えば、聞いていただけのことはあったと思いますが、当時はどれだけ役に立ってるのか疑問でした。
 この当時から、だんだんと国語が嫌いになり、数学や理科などのいわゆる理系科目が得意になっていきます。
 
 どんな勉強をしていたのか、本当に覚えていませんが、地元の進学校を目指して頑張ってはいたんだと思いますが・・・・

私の小学生時代

 塾に行かなくても、大阪大学までいくことができた、 という経験を綴っていきたいと思っていますが、ちょっと教育論みたく、話がそれたので、ここで軌道修正をします。
 
 まずは、小学生あたりから、私の人生?を振り返ってみます。
 
 
 私は三人兄弟の三男として生まれました。
 
 父親第二次世界大戦の混乱の中、高校に行くこともできず、中学を卒業してすぐに働きだしていますが、自分で稼いだお金で地元高校の定時制に通っていました。定時制の中でも年長だったようでリーダー格としていろいろ悪さをしたりして楽しんでいたようですが・・・・
 母親は地元の高校で洋裁や和裁などを習っていたようです。
 
 特に父親は高校に行きたかったのに家庭の都合で満足に勉強ができなかったということもあり、自分の子どもたちには十分な教育を受けさせてやりたいとの思いが強かったようです。
 
 私はというと、地元の公立小学校に通いました。
 私が通っていた小学校は、地元でも有数のマンモス校で、1学年に40人以上のクラスが5クラス・・・つまり、1学年で200人以上、学校全体では6学年で1200人以上いたことになります。
 
 
 小学校の時、気がついたら習慣的に勉強をする癖がつけられていました。
 このことについては、将来にわたり勉強をすることが当たり前のことになり、大学進学につながったものであり母親に感謝しないといけないですが、当時の自分にとっては苦痛でしかなかったです。
 
 学校からは算数のドリルと漢字書き取りのドリルの2つが与えられていましたが、それを毎日やっていました。ほんとうはずるをしてやりたくなかったんだけど、親にやらされていましたね。
 学年が進行していけば、理科や社会の勉強もしていたのかもしれませんが、全くと言っていいくらい勉強をした記憶がありません。でもやらないと何も覚えられないのでなにかしてたんでしょうね。
 
 低学年の時の記憶はあまり残っていませんね・・・まだ土曜日が休みでなかった時代でしたが、家族旅行のために土曜日を1日だけ休んだことや、よく風邪をひいて学校を休んでいたことは覚えていますが・・・
 
 中学年になると社会の授業で都道府県名と県庁所在地名を覚えたのは覚えていますが、あとはスーパーカー消しゴムがはやったとか、早く5年生になって鉄筋の校舎に行きたいと思っていました。
 
 6年生の時、当時の担任は児童間の競争をさせていました。
 小テストをするたびに、点数を積算していきます。その積算結果、つまり小テストの合計点の上位10人を黒板に書き出していたのです。
 40人以上いるクラスですから、この競争に参加できているのは上位10人とそこに入り込もうとする数人だったと思いますが、その10数人は小テストのたびに一喜一憂している声が聞こえていたのを覚えています。
 あと、悪さをすると竹でつくった差し棒で頭を「かつーん」とたたかれていました。授業を聞いていなくて廊下に机ごと放り出されたこともありました。放り出された廊下でひとりで本を読んでいると校長先生がにこにこしながらやってきて、「怒られたかぁ〜(笑)」といって歩いていったのを覚えています。
 今ならすぐに「体罰だぁ!」と問題になるでしょうが、当時は当たり前のことでした。
 
 このときの担任は今でもつきあいがあります。私の子ども達が小学校だったとき、ひょうんなことからPTAの役員をやっていたのですが、この担任がその小学校の校長OBだったこともあり、「自分の教え子が親の世代になってまた再会できた、しかも自分が校長をした学校で」と非常に喜んでもらいました。
 
 と、特段変わった生活を送ったわけでもないですが、前にも書きましたが、親に、毎日勉強するのが当たり前の環境を作ってもらったのは、ありがたかったです。

勉強にご褒美はダメなのか?

ネイティブイングリッシュ

 子どもに勉強をさせるのに苦労しますよね
 
 前にも書きましたが、勉強が習慣になればそれなりに勉強はしてくれます。
 でも、ともすればどうやって手を抜こうかいつも考えています。
 
 その時に大人が気がつき、もとの習慣に戻してやれば簡単に戻ってくれます。
 そうすれば、あとは子どもに任せておけばいいです。
 
 前回のブログにも書きましたが、負けず嫌いな子については、ちょっときっかけを作ってやればやってくれるはずです。
 
 問題は、どうしてもなかなか勉強の習慣がつかない子です。
 勉強をしない子に「勉強しなさい!」と言ってももっとしなくなります。
 となると、・・・最後の手段、そう、ご褒美です。
 
 勉強することにご褒美を出すことについては、いろいろな人が否定的な意見を出しています。ご褒美がなければ勉強しなくなるとか、要求がどんどん高くなっていくとか・・・
 
 やり過ぎはよくないと思いますが、私は、ご褒美があってもいいと思います。
 結局は、ご褒美があろうがなかろうが、今勉強しないと、将来も勉強なんかしないんです。
 
 であれば、今勉強するための手段を考えた方がいいと思いませんか?
 
 あとは、ご褒美の与え方だと思います。子どもが勉強し、学力が向上する与え方はどうすればいいのか・・・
 
 
 
 ご褒美の与え方として、どっちがいいと思いますか?
 
 A.次のテストで80点取ったら好きな物を買ってあげる
 B.テスト勉強を2時間頑張ったらおいしいケーキを食べに行く
 
 テストでいい成績をとってもらうほうが親としてはうれしいのかもしれませんが、ご褒美の与え方としてはBのほうが正解です。
 
 Aの例は、テストの結果という「アウトプット」に対するご褒美であり、Bの例は、テストでいい結果を出すために勉強するという「インプット」に対するご褒美になります。
 当然、子どもにとってはBのインプットに対するご褒美のほうが身近な目標であり、勉強に対する取り組みやすくなります。
 Aのアウトプットに対するご褒美は、そのご褒美をゲットするために計画的にできる子どもなら意味があるでしょうが、そんな子はご褒美がなくてもできましす。そうでない子にとっては、遠い目標であり、親にとってもどこまでできているんだか、と心配の種にしかならないと思います。
 
 結果としてインプットの積み重ねが学力の向上につながり、テストの点数というアウトプットへとつながるのです。
 
 このことは、私の持論ではなく、大学生のときに先輩に言われたことです。その時、なるほどと思って聞いたのを今でも思い出します。
 
 このブログを書きながらインターネットをブラウジングしていると、『「学力」の経済学』(中室牧子/ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を見つけました。
 まさに、このご褒美のことが書いてあります。またほかにも、世の中でまことしやかに言われていることが、科学的根拠にもとづき論破されています。
 いわゆるニセ科学ってやつですね。
 今一度読んでみるとおもしろいです。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学