塾なんかいらない?田舎の公立高校から大阪大学へ

塾なんかに通わなくても大阪大学に合格できる!自分の経験を受験生を持つ保護者の方へ伝えます。

私の小学生時代

 塾に行かなくても、大阪大学までいくことができた、 という経験を綴っていきたいと思っていますが、ちょっと教育論みたく、話がそれたので、ここで軌道修正をします。
 
 まずは、小学生あたりから、私の人生?を振り返ってみます。
 
 
 私は三人兄弟の三男として生まれました。
 
 父親第二次世界大戦の混乱の中、高校に行くこともできず、中学を卒業してすぐに働きだしていますが、自分で稼いだお金で地元高校の定時制に通っていました。定時制の中でも年長だったようでリーダー格としていろいろ悪さをしたりして楽しんでいたようですが・・・・
 母親は地元の高校で洋裁や和裁などを習っていたようです。
 
 特に父親は高校に行きたかったのに家庭の都合で満足に勉強ができなかったということもあり、自分の子どもたちには十分な教育を受けさせてやりたいとの思いが強かったようです。
 
 私はというと、地元の公立小学校に通いました。
 私が通っていた小学校は、地元でも有数のマンモス校で、1学年に40人以上のクラスが5クラス・・・つまり、1学年で200人以上、学校全体では6学年で1200人以上いたことになります。
 
 
 小学校の時、気がついたら習慣的に勉強をする癖がつけられていました。
 このことについては、将来にわたり勉強をすることが当たり前のことになり、大学進学につながったものであり母親に感謝しないといけないですが、当時の自分にとっては苦痛でしかなかったです。
 
 学校からは算数のドリルと漢字書き取りのドリルの2つが与えられていましたが、それを毎日やっていました。ほんとうはずるをしてやりたくなかったんだけど、親にやらされていましたね。
 学年が進行していけば、理科や社会の勉強もしていたのかもしれませんが、全くと言っていいくらい勉強をした記憶がありません。でもやらないと何も覚えられないのでなにかしてたんでしょうね。
 
 低学年の時の記憶はあまり残っていませんね・・・まだ土曜日が休みでなかった時代でしたが、家族旅行のために土曜日を1日だけ休んだことや、よく風邪をひいて学校を休んでいたことは覚えていますが・・・
 
 中学年になると社会の授業で都道府県名と県庁所在地名を覚えたのは覚えていますが、あとはスーパーカー消しゴムがはやったとか、早く5年生になって鉄筋の校舎に行きたいと思っていました。
 
 6年生の時、当時の担任は児童間の競争をさせていました。
 小テストをするたびに、点数を積算していきます。その積算結果、つまり小テストの合計点の上位10人を黒板に書き出していたのです。
 40人以上いるクラスですから、この競争に参加できているのは上位10人とそこに入り込もうとする数人だったと思いますが、その10数人は小テストのたびに一喜一憂している声が聞こえていたのを覚えています。
 あと、悪さをすると竹でつくった差し棒で頭を「かつーん」とたたかれていました。授業を聞いていなくて廊下に机ごと放り出されたこともありました。放り出された廊下でひとりで本を読んでいると校長先生がにこにこしながらやってきて、「怒られたかぁ〜(笑)」といって歩いていったのを覚えています。
 今ならすぐに「体罰だぁ!」と問題になるでしょうが、当時は当たり前のことでした。
 
 このときの担任は今でもつきあいがあります。私の子ども達が小学校だったとき、ひょうんなことからPTAの役員をやっていたのですが、この担任がその小学校の校長OBだったこともあり、「自分の教え子が親の世代になってまた再会できた、しかも自分が校長をした学校で」と非常に喜んでもらいました。
 
 と、特段変わった生活を送ったわけでもないですが、前にも書きましたが、親に、毎日勉強するのが当たり前の環境を作ってもらったのは、ありがたかったです。